もつ鍋パーティ

今日は仕事でお仕えしているボスのお誕生日でした。

職場の部屋のスタッフで、前々からプレゼントは用意していたのですが、昨日になって、今日がご自身のお誕生日だからなのかどうか、「みんなでもつ鍋を食べに行こう」と誘われて、急遽もつ鍋パーティと相成りました(笑)。

お店は大名の「前田屋」さん。福岡のおいしいもつ鍋屋さんのランキングでは必ず上位にあげられるお店ですが、ぼくはまだ行ったことがなかったので、昨日からすごく楽しみにしていました。

料理はコースでお願いしていたのですが、メインのもつ鍋が出てくるまでの前座の料理たち(酢モツ、ごまカンパチなど)がどれもびっくりするぐらい美味しくて、もつ鍋を食べる前からすっかりこのお店のとりこになってしまいました。
もちろんメインのもつ鍋も絶品。みそベースで上品な味で、モツも柔らかくてモツそのものの味がしっかりして、いい素材を使っていることがわかります。

ただ、今日はもつ鍋が出てくる前の料理をちょっと食べ過ぎてしまって、もつ鍋を食べる頃にはだいぶお腹が満たされかけていたので、次回来るときはもつ鍋オンリーでも十分に満足できると思います。

そしてデザートは、持ち込みのバースデーケーキを。
人気のお店で個室も何回転かさせないといけないらしく、次の予約のお客さんの関係で時間の制約があってやや慌ただしかったのですが、そんな中でもお店のスタッフさんはいろんな演出の協力を快く受けていただいて、味の良さだけではない、接客面でも一流の、本当に素晴らしいお店でした。またぜひ利用させていただきたいと思います。

また、今日はご自身のお誕生日にもかかわらず、ボスには我々スタッフにお心遣いいただいて、たいへん恐縮しています。このボスのもと、我々スタッフもまとまって本当に毎日楽しく仕事させていただいています。本当にありがたいことだし、また引き続きみんなでがんばっていきますので、これからもよろしくお願いいたします。

今日はまた一つ楽しい思い出ができました。ありがとうございます。

第2回伊万里ハーフマラソン(レポート)

今日は、今年初、というよりも今年度初めてのマラソン大会出場。第2回伊万里ハーフマラソンを走ってきました。

この大会は去年からこの1月の三連休の時期に始まった大会で、福岡から近場なので去年出場してみたところ、コース設定やランナーへのおもてなしがことのほか良かったので、今回も出場することにしました。

通常、マラソン大会の開催は日曜日というのが一般的なので、なんでわざわざ三連休の最終日にやるのかな、と思ってたんですが、伊万里市では成人式を昨日やったからなんですね。納得です。

さて結果の方は、今の自分のベストを尽くして頑張ったのですが、1時間41分18秒。
とうとう1時間40分をオーバーするまでに落ち込んでしまいました。
去年のこの大会のタイムが1時間35分54秒だったので、一年で5分以上も落ちたことになります。
決して練習不足というわけではなく、12月は走り込んで久しぶりに月間走行距離が100kmを超えたし、また、今日の1kmごとのラップも最高が4分27秒、最悪でも5分06秒と比較的安定していたので、持久力に関してはそれほど問題あるとは思っていません。
ただ、今日走った感覚ではわりとスピードに乗れてたつもりだったのに、1kmのラップで4分半を切れたのは2回だけ。思った以上にスピードが落ちているんですが、それでも今日は持てる力は出し切れたと思うので、素直に年齢による衰えだということを認めないといけませんね。

種目順位は395人中73位。まずまずと言いたいところですが、今回からカテゴリーが50歳代の部になったので、初老の方々の中でのこの順位は、あんまりいただけません。来月は北九州でフルを走るので、またこれから1か月、距離の練習をしっかり積んで、またここで完走の報告をしたいです。

さて伊万里ハーフマラソン。今回で2回目の若い大会ですが、コースは折り返し型でなくぼくの好きな周回型で、伊万里の市街地を出発して伊万里湾大橋まで伊万里湾をぐるっと回ってくる風光明媚なルートです。
個人的には18kmを過ぎ、有田川を渡ってなだらなか坂道を登り切って中心市街地に入り、伊万里駅を突っ切って最後の力を振り絞ってゴールに向かって疾走するクライマックスの部分が大好きです。

運営スタッフの皆さんも、地元の高校生が中心でキビキビしていてとても好感が持てます。ゴール後のランナーのおもてなしもすごく満足です。
伊万里の皆さん、今年も素晴らしい大会をありがとうございました。
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行く年来る年

平成27年(2015年)も今日で終わりですね。
今年も、公私ともにいろんなことがあった1年でした。

まず「私」の部分では、8月に急な連絡が来て本当に久しぶりの再会を果たした人がありました。自分の中ではここ数年の中でも最大の出来事だったように思います。

また、11月に50歳を迎え、体力的にも少しずつ衰えを実感することも多かったです。趣味のジョギングも、長い距離を走ることが本当にしんどくなって、プランどおりの練習をこなすことがハードルが高く感じるようになりました。2月に北九州でフルを走る予定があるのですが、タイム以前に完走することができるかどうか、不安を抱えたままです。でも気持ちだけは老け込むことなく、来年もアクティブにがんばっていこうと思います。

そしてアビスパ福岡。今年はJ1昇格は期待はしていたものの、失礼ながら現実になるとは想定していませんでした(笑)。
平成14年に初めてJ2に落ちて以来、J2に4年間いてJ1に上がり、そこでボコられて1年でJ2に戻り、また4年在籍してJ1昇格、でもまたボコられて1年でJ2に舞い戻り・・・って規則的なサークルを繰り返していましたが、今回またもやJ2での4年間の雌伏の時を経て、来年J1のカテゴリーで戦うステージが巡ってきました。
来年は、現実的には「残留」が目標になると思いますが、ファン・サポーターとしても1段上のレベルのサッカーに触れられることを楽しみたいと思います。
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今年は「公」の部分でも充実した1年でした。
上司や同僚に恵まれ、楽しく仕事させていただいたということが何よりありがたかったのですが、また今年は海外出張のラッシュで、自分にも何回かお鉢が回ってきました。同じ年に3回も海外に行く機会があったのは、50年の人生でもちろん初めてのことです。貴重な経験の機会をいただいたことに心から感謝いたします。
4月からの新しい仕事も何となく見えてきた感がしていますが、次の環境でも「原点回帰」でがんばっていこうと、気持ちを新たにしているところです。

今年も1年、たくさんの方にお世話になりました。平成28年(2016年)もいい年を過ごせるよう、日々精進していこうと思います。今年もまた平穏な年越しを迎えることができたこと、心から感謝いたします。

チャイナの空

街がクリスマスモードのピークを迎えた21日から24日まで、仕事で中国の南京と蘇州に行ってきました。

中国に上陸したのは2回目。3年9か月前の前回も仕事での訪中だったので、今回も観光はもとより街歩きもあんまりできませんでしたが、いい意味でも悪い意味でも中国という国のスケールの大きさをあらためて実感しました。

このところ北京で問題になっている大気汚染は、南京や蘇州のある江蘇省でも例外ではありませんでした。天気上は晴れなのに、空がスモッグで覆われて霞んでいるので、太陽をじかで見ることができるほど。
南京で泊まった宿はタワーホテルで、自分の部屋は46階だったので高層からの爽快な眺めを期待したのですが、高い所では空中の汚染物質で視界がきかず、まるで霧がかかっているかのようなこういう景色でした(笑)↓↓。
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晴れていても「青空」というものがまったく見られない中国の人は本当にかわいそうだし、何よりこういう空気の中で生活していたら人々の健康面がとても心配です。こんな中では散歩やジョギングなんてやろうという気持ちにもならないでしょうしね。

滞在中、中国ならではの美味しい食事はいろいろといただきましたが、今回も現地での行程はすべてチャーターしたバスでの移動だったので、旅好きの自分としてはそういう意味ではちょっと物足りない気持ちはありました。
次は仕事を離れて、自分で路線バスや地下鉄を利用して街の雰囲気に直接触れることができるような個人旅行で、また中国を訪れたいと思います。
その時には、かつて日本でも四日市や北九州で発生していた光化学スモッグを克服できたように、中国でもきれいな青空が戻っていることを心から願っています。

記念日

アビスパ福岡、J1昇格おめでとうございます。

今日は午前中に所用があったため大阪までは行けませんでしたが、テレビの前で一生懸命念を送っていました。
本当に気持ちの入った、ナイスゲームでした。勝負は紙一重のところでお互いの明暗を分けましたが、今回の昇格は決して勢いだけではない、相手がどこであってもブレないしっかりしたチーム力を蓄えての昇格だと思います。

社長が替わり、新しいスポンサーがたくさんついて、これからJ1で定着していくクラブ作りが始まった今年。
もし、北斗のゴールがあと少しだけずれていたとしたら・・・。もし、玉田がシュートではなくパスを選択していたら・・・。来年以降のクラブの動向が大きく違っていたはずです。人生と同じで、ほんのちょっとのことで運命が左右される。ゲーム終了後の両チームの選手の表情を観ながら、今日はあらためてそういうことを実感しました。

そして今日は、18回目の結婚記念日でした。縁があって今の嫁さんと一緒になりましたが、何年経っても変わらずに自分のことを信頼してくれて、自分の考えを尊重してくれる、本当に自分にはこれ以上ない嫁です。50歳を過ぎた今になって、あらためてこの縁を導いてくれた運命の神様に感謝しています。

今日は夕食時にアビスパの昇格と併せて、シャンパンでささやかにお祝いしました。アビスパが昇格できたこと、今年も健やかに結婚記念日を迎えられたこと。たくさんの方々のおかげだと思っています。心から感謝いたします。

ひと山越えて

今日のJ1昇格プレーオフ準決勝、アビスパは得意のウノゼロで長崎を下しました。

若干動きが硬かったように見えた選手もいましたが、チーム全体で見るとなかなか落ち着いた試合運びだったように思います。
0-0で前半を終えた時は、スコアの上では長崎ペースともいえましたが、こちらの方が決定機を作っていたし、守備もきちんとブロックをつくって対応できていたので、それほど心配はしていませんでした。

そして後半の早い時間、CKからの混戦をウェリントンが押し込んで先制。ウェリントンのチャントは今日初めて聞きましたが、なかなか格好いいですね。

亀川のドリブルや航輔の見事な反応など、能力の高い選手のパフォーマンスはともかく、今日は中原秀人のいい動きが目につきました。これまでちょっと彼を過小評価しすぎてましたかね。

ともかく山は一つ越えました。次が最後の山です。相手はセレッソ。今のアビスパは絶好調とはいえ、相手さんも何だかんだ言われてもポテンシャルの高いチームなので、難しいゲームになると思います。しかも会場は中立地のはずが結果的に相手のホームになりました。でも今さらいろいろ言うのはやめましょう。決勝をヤンマーでやることは最初から決まってたことです。とにかく勝てばいいんですから。

今日は久しぶりに、すごく盛り上がったいいムードの中でのゲームでした。こういう雰囲気の中でサッカーの試合を観られること、すごく贅沢で幸せな気分になりました。今日初めてレベスタに来られた方も多いと思います。そういう方も今日自分と同じような気持ちを少しでも感じてもらえたとしたら嬉しいです。きっと来シーズンの動員につながると思います。
今日は長崎のサポーターの皆さんも大勢でお越しいただきありがとうございました。これからもみんなで日本のサッカー文化を盛り上げていきましょう。

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南米・米国訪問<その9・食事など>

12日間の出張中、食事などの面でも現地の文化・風習にふれあえてよかったです。
特に、南米は肉料理が充実していました。

ブラジルでは、シュラスコ料理。鉄の串に牛や豚の肉(鶏のハツなど内臓系もありましたが)を刺して、岩塩を振って焼き上げたものをウェイターさんがテーブルまで持ってきて、切り分けてくれるものです。
ウェイターさんがいろんな肉をひっきりなしに持ってきて、とても全部食べるわけにはいかないので、いらないものはハッキリと断らないといけません。それでも肉の種類や部位ごとにいろんな違った味が楽しめて、とても美味しくいただきました。

肉料理が特においしかったのは、アルゼンチンです。
日本では、サシが入って肉質がとろけるように柔らかい、いわゆる「和牛」が高級な肉としてもてはやされていますが、アルゼンチンで食べた肉は脂が少なく硬さがあってしっかり噛みごたえのある、しかも雑味がなくて肉の旨みがちゃんと味わえるものでした。こういう肉をずっと食べたかったのですが、地球の裏側まで来てやっと出会うことができました(笑)。本当に美味しかったです。

アルゼンチンはふだんからワインを飲む文化があって、公式な式典などでは昼間からワインが出てきます。ワインの味もタンニンやポリフェノールを多く含んでいそうなフルボディのものが多かったです。そしてこういうワインがしっかりした肉にとてもよく合うのです。聞いたところによると、「マルベック」というアルゼンチン特有の葡萄の品種から作られていて、マルベックのワインは濃い色合いから「黒ワイン」とも呼ばれているそうです。
ぼくもとても気に入ったので、これから家でワインを買う時は、マルベック種を使ったアルゼンチンワインを選ぶようにします。
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また、日本では飲み会などで「とりあえずビール」から始まって、あとは焼酎だったり日本酒だったり、ワインも最初は白で次に赤とか、いろんな種類のお酒を楽しみますが、アルゼンチンでは最初から最後まで同じ種類の飲み物で通すのがしきたりだそうです。そうすると必然的にメインの肉に合う赤ワインが選ばれることが多い、とのことです。

港町のサントスとシアトルではシーフードをいただきました。サントスのレストランのメインのパエリアは、真ん中に伊勢エビが乗り、そのまわりに車エビ(?にしてはサイズが大きいが)がぐるっとトッピングされて凄いことになってました(笑)。これもとても美味しかったです。
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以上、9回にわたって今回の出張の仕事以外のところのレポートをまとめてみました。これだけを読まれた方は、旅行にでも行ったかのような楽しそうな感じを持たれるかもしれませんが、決してそんなことはありませんので(笑)。
自分のブログでのレポートの方が先になってしまいましたが、これから職場できちんと仕事の報告書をまとめないといけません。
・・・最後まで閲覧ありがとうございました。
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南米・米国訪問<その8・シアトル(米国)>

12日間の長かった出張も、いよいよ最後の任務地です。南米大陸に別れを告げ、米西海岸のシアトルへ。
サンパウロからシカゴまで夜間の10時間のフライト。さらに翌朝乗り継いでシアトルまで4時間。
狭いエコノミー席での長時間の搭乗も、隣に人がいなければ少しは余裕があるのですが、UAのこの2便はどちらもほぼ満席で、手荷物も足元に置かざるをえず、長時間固まったポーズを強いられての移動はこたえました(笑)。

さてシアトルですが、ここは米国人が国内で住みたい都市として必ず上位にあがる町です。実際に来てみると、想像してた以上に街並みが美しくて、びっくりしてしまいました。
南米の雑多な感じの街並みにずっと接していた分、道幅が広く整然とした区画や街路樹の多さ、それにスターバックスやマイクロソフト、アマゾンなどの有名企業がこの町に本社を置いているというイメージや先入観も加わって、とても洗練された雰囲気を感じます。

日本の街に例えるならば、海の見える神戸の風景に、仙台や熊本のような緑の多さをプラスしたような感じでしょうか。また、ずっと気温30℃近くだった南米に比べ、ここシアトルの気温は日中の最高でも一桁。寒い分空気もきれいに感じられて、歩く姿勢も自然と背筋が伸びるようで、とても気持ちよかったです。

夜はSea-Tacの県人会の皆さんとの交流会に出席させてもらいました。ぼくの隣に座った方は県人会のメンバーである女性の旦那さん(米国人)で、日本語があまりできない方だったので、ぼくの拙い英語に彼が合わせてくれたり、自分が彼のたどたどしい日本語に合わせたりと、なかなかコミュニケーションが難しかったのですが、楽しい時間を過ごすことができました。

この出張期間中、美味しいものもいろいろ食べたし、何より運動不足が理由で終盤はちょっと太り気味になっていました。本当は行った街ごとに朝の散歩などしたかったのですが、南米諸国では治安上の理由から、人通りの少ない朝の時間帯の自由な散歩は固く止められていたんですね。
でもこのシアトルは米国の大都市では珍しく、治安面では日本と同じぐらい安全だということで、存分に朝の散歩を楽しみました。ただ、気温3℃の中を防寒具なしで歩くのはいくら寒さが苦にならない自分でも少し辛かったですけど(笑)。

↓MLBシアトル・マリナーズの本拠地セーフコ・フィールド。
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↓NFLシアトル・シーホークスの本拠地センチュリーリンク・フィールド。
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↓スターバックスコーヒー1号店。天下のスタバはここから世界展開を遂げるまでに成長しました。この店だけはあえて創業当時のロゴを残しているそうです。この1号店だけでしか手に入らないスタバグッズもたくさんあるようで、もはやここはコーヒーショップというよりも完全にシアトル定番の観光スポット化しています。
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南米・米国訪問<その7・サントス(ブラジル)>

9日目は、サンパウロの外港、サントスへ。コーヒー豆の銘柄でお馴染みの名前ですが、これはイエメンのモカと同様、コーヒー豆の積み出し港の名前が付けられているものです。

明治41年6月18日、日本からの最初の移民船「笠戸丸」がここサントス港第14埠頭に到着しました。現地には、その時乗船していた方の名前を記した記念碑がひっそりと残っています。
当初はこれを見に行く予定はなかったのですが、「せっかくサントスに来たんだから」と、先人の方々に敬意を表して、昼食の時間を短縮して港へ見に行くことになりました。
モニュメントは、観光客などはまず行かないような、民間の倉庫群のような中にポツンとあって、ふだんの管理が行き届いていないようで、風雨に晒されうっすらと汚れていたので、皆で紙おしぼりできれいにしてあげました。
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港町サントス。隣のグアルージャ市との間が運河状になっていて、これに面して民間の倉庫群や港湾施設になっています。笠戸丸の碑もこの中にあります。
一方、外海の方に向かって新市街を突き当たったところが砂浜のゴンザカビーチになっていて、平日の昼間だというのにたくさんのサーファーや海水浴客がいました。ビーチに面してリゾートマンションが立ち並んでいます。

さて、サッカー好きにとっては、サントスといえば、まず何よりも白いユニフォーム、名門サントスFCのホームタウンというイメージが強いです。
かつては神様ペレが、近年では今をときめくネイマールがバルセロナへ移籍する前に所属していたクラブで、三浦カズ選手が静岡学園高校を中退して単身ブラジルに渡り、最初にプロ契約したのもサントスFCでした。
ホームスタジアムも新市街地の車窓右手に見えたのですが、写真撮影は失敗してしまいました(笑)。
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南米・米国訪問<その6・移動日(エンカルナシオン~サンパウロ)>

南米出張8日目の17日(火)は、初日の10日(火)に続いて仕事が全く入っておらず、終日移動に充てた1日でした。

この日は翌日の仕事に備えて夜までに再びサンパウロに入らないといけないのですが、パラグアイ南部には空港がないため、陸路で6時間かけてシウダデルエステという町まで出て、パラナ川の対岸にあたるブラジルの都市フォスドイグアスから飛行機でサンパウロに向かうというルートを取ります。

エンカルナシオンからシウダデルエステまでは途中に町らしい町はなく、ひたすら赤土の大地が広がる荒涼とした風景がどこまでも続きました(・・・暑いので「荒涼」という表現が正しいかどうかわかりませんが、とにかく人工物があまりなく、雄大ながらも単調な景色なのです)。

そんな中にも突然、一面のひまわり畑が現れたり、牧畜国パラグアイらしく牛がのんびり草を食べる広大な牧場が現れたりと、ずっと窓から景色を眺めていてもあまり退屈することがありません。もう2度と訪れることのないであろうパラグアイの景色を目に焼き付けておこうと、ぼくも頑張って6時間一生懸命に外を眺めておきました(笑)。
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パラグアイとブラジルの間は、パラナ川という川が国境になっています。当然のように、それぞれの側で出国審査と入国審査を受けないといけません。パラグアイ側のシウダも、ブラジル側のイグアスも、そこそこの規模の都市なので生活圏が一緒になっているようで、歩いて国境を渡る人もたくさん見かけられました。

フォスドイグアスでは、お察しのとおり、はい、もちろん、近くにある大きな有名な滝を見に行きましたとも(笑)。
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20:25着、空路にて5日ぶりにサンパウロへ。外は激しい雷雨になっていました。

南米・米国訪問<その5・エンカルナシオン(パラグアイ)>

いよいよパラグアイへ入国。ブエノスアイレスからは、国内線で北部の都市ポサダスまで飛んで、ここから鉄道で国境の川を渡ってパラグアイのエンカルナシオン市へ入ります。

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↑ポサダスからエンカルナシオンまでは鉄道で国境越え。「世界の車窓から」の石丸謙二郎さんのナレーションが聞こえてきそうです(笑)。

エンカルナシオンは、人口10万人程度の小ぢんまりした街でした。それでも、この人口規模でパラグアイ第3の都市だということです。
戦後、パラグアイ南部に相次いで日本人移住地が開設され、これらの移住地へ入植する人たちの入国窓口となったのがここエンカルナシオンの町です。
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印象的だったのは、このあたりはずっと赤土の土地が広がっているのに、それでもちゃんと農業開発が行われていることでした。今でこそ日本人移住者は勤勉で実直な性格から現地の人たちから高い信頼を得ているものの、入植当初はたいへんなご苦労があったと思います。

夜は現地の県人会の方々との懇談会に出席させてもらいました。
ぼくの前の席に座られたH・Fさんという男性は、自分より3つ若い弁護士さんでしたが、サッカー経験者でもあり、当然日本語もできるので、以前は南米のプロサッカー選手がJリーグのクラブに移籍する際の契約書を作成する仕事もしていたということでした。かつて契約を手がけた選手の中には、アビスパに来たフェルナンドもいたそうです。
また、今はバラエティタレントとしても活躍している元ヴェルディの武田修宏さんは選手生活の晩年にパラグアイ国内リーグの「スポルティボ・ルケーニャ」というチームに所属していた時があるのですが、その時の彼の生活面のサポートもFさんがしていた、ということでした。

もっともっとFさんからいろんな話を聞いていたかったのですが、ぼくも懇談会の全体をフォローしないといけないという任務があるので、後ろ髪をひかれる思いで泣く泣く途中離席。
こういう時は、懇談会開始と同時にとにかく急いで自分の食事を終わらせる、というのが大事です。そうすればあとはゆっくりボスや全体のフォローに専念することができますから。特技の「早食い」はこういう時に役に立ちます(笑)。

懇談会が終わってホテルに戻り、夜空を見上げると星がとてもきれいでした。高校で行った九重キャンプの時に見た星空を思い出しました。

南米・米国訪問<その4・ブエノスアイレス(アルゼンチン)>

リオデジャネイロからアルゼンチンの首都、ブエノスアイレスへ移動。

リオからずいぶん南へ来たので、だいぶ過ごしやすい気温になりました。
初めての南半球。南へ行くほど気温が下がるというのと、太陽が東から北の空を回って西に沈むということが、どうにもしっくりきません(笑)。

それはそうと、ここブエノスアイレスは一般的な“南米”のイメージとは全然違っていて、建物の建築様式といい、石畳の道が多いことといい、完全にヨーロッパテイストの街並みでした。

またサッカーの話になりますが(笑)、ブエノスアイレスには、「ボカ・ジュニオールズ」と「リーベルプレート」という、国内の人気を2分するライバル同士のビッグクラブがあります。この2チームの対戦は、「スーペルクラシコ」と呼ばれて、「ミランvsインテル」や「セルティックvsレンジャース」などと並んで、世界でも最も激しいダービーマッチの一つとして知られています。
ぼくはこの2チームではどちらかといえば、アビスパ福岡とゆかりのある「リーベル」の方に思い入れがあったのですが、たまたま移動の車窓から「ボカ」のホームスタジアムの「ラ・ボンボネーラ」を目にしてから、その雰囲気の格好よさに、いっぺんに虜になってしまいました。“ボンボネーラ”とは、スペイン語で「チョコレート箱」のことだそう。こういうネーミングのセンスもなかなかお洒落です。
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そんなこともあって、ブエノスアイレスでの1日目、昼の仕事と夜の仕事との間に2時間ばかりフリータイムがあったので、街のサッカーショップでボカのレプリカとステッカーを購入しました。店員さんがボカのマガジンもおまけにつけてくれました。ステッカーは早速自分のスーツケースに貼ったところ、これを見たホテルの従業員さんや空港の職員さんなどからは、必ず何かしらの反応がありました(笑)。アルゼンチンの人は、きっとみんなボカが大好きか、あるいは逆に大嫌いかのどちらかなのでしょう。
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↑こちらはリーベルのホーム「エル・モヌメンタル」。ホルヘニューベリー空港へ向かう途中の車窓から撮影。アビスパの草創期を支えたピッコリやトログリオはここでプレーしていました。

南米・米国訪問<その3・リオデジャネイロ(ブラジル)>

次に訪問したのは、かつてのブラジルの首都であり、来年のオリンピック開催地のリオデジャネイロ。コルコバードの丘から巨大なキリスト像が見下ろす街です。

サンパウロとリオデジャネイロという、ブラジルを代表する2大都市は、飛行機で1時間足らずの距離であり、路線別の航空機利用者数は、このサンパウロ~リオ間が世界第1位だそうです(ちなみに2位は東京~札幌、3位が東京~福岡とのこと)。もっとも、この2都市間には新幹線のような高速鉄道が発達していないからこその数字なんでしょうけど。

今回このリオを訪問した目的は、来年のオリンピック関連施設を見ることと、ブラジルの五輪関係者に対して2020年東京五輪のキャンプ地としての福岡をアピールすることであり、随行という仕事は置いといて個人的にとても楽しみにしていました。

一連の行程の中でブラジルサッカーの聖地・マラカナンスタジアムも訪れました。ここはオリンピックの開会式の会場になるそうですが、伝説の「マラカナンの悲劇」の舞台であり、自分としては去年のブラジルW杯の決勝戦「ドイツvsアルゼンチン」戦が行われたスタジアムとして強く記憶に残っています。
それがまさか1年後にここに来ることになろうとは、夢にも思っていませんでした。しかもスタンドだけでなく、ピッチレベルにまで降り立つことができるなんて・・・(涙)。
今回の同行メンバーにはそれほどサッカー好きはいなかったようで、自分一人で舞い上がってしまって、皆の前でマックスハイテンションな自分を隠すのに精一杯でした(笑)。

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↓ここは来年の五輪のマラソン競技のスタート地点。もともとは毎年行われるリオのカーニバルの会場であり、道の両サイドには桟敷席状のスタンドがあります。
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南米・米国訪問<その2・サンパウロ(ブラジル)>

今回の出張の最初の任務地はサンパウロ。人口1,100万人を抱え、ブラジル随一の経済都市、というよりも南半球で最大のメガシティといった方がいいかもしれません。
街は活気があって賑わっていましたが、近代的な高層ビル群の一方で、「ファベーラ」と呼ばれる、レンガやコンクリートを単純に積み立ててつくっただけのような小屋が密集している貧民街も点在していて、格差が大きいことを感じます。町の治安もあまり良くないらしいです。

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↑最初の仕事があった会場の近くに、名門サンパウロFCのホームスタジアム、モルンビースタジアムがありました。サンパウロFCはかつて92年・93年と2年続けてトヨタカップで来日したときの印象が強いです。
サンパウロには他にも、今シーズンのカンピオナート・ブラジレイロを制した「コリンチャンス」や「パルメイラス」など名の知れた強豪クラブがあります。

南米・米国訪問<その1・ニューヨーク(米国)>

成田から最初の訪問地、サンパウロへ行くのにトランジットのためニューヨークへ立ち寄りました。
全日空便の到着はクイーンズ区のジョン・F・ケネディ空港でしたが、乗り換えるUAのサンパウロ便はニュージャージー州のニューアーク空港から出発。つまり、ニューヨークの街を東から西に大移動しなければならず、必然的にマンハッタンを横切って行くことになります。

ニューヨークへ来るのは、18年ぶり3回目。夕刻の摩天楼群を眺め、クイーンズボロブリッジを渡ってマンハッタンへ入ってくると、この街の格好良さに鳥肌が立つぐらいの興奮を憶えます。トランプタワー、ティファニー本店、セントパトリック大聖堂・・・。車窓からの風景ですが、こういうおなじみのニューヨークの風景は、昼間よりもライトアップされる日没後の方が絵になります。タイムズスクエアの付近では大きなクリスマスツリーが設置されている途中のようでした。

今回はトランジットの移動時間を利用して夕食を取っただけの滞在でしたが、ニューヨークは他の大都市とは全然違う、独特の雰囲気、空気感があります。
やっぱりぼくはニューヨークの街が大好きです。

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帰ってきました

10泊12日の長期出張から昨日帰ってきました。
訪問先は南米3か国と米国のシアトル。12日間の出張は思っていた以上に長く、精神的にきついものがありました。3日目ぐらいまでは、まだまだ先が長いことに気が滅入るような気持ちにもなりましたが、徐々に時差にも暑い気候にも慣れてきて、だんだんペースをつかめてきました。とにかく今は、無事に終えられたことにホッとしている気持ちです。

ぼくは長時間乗り物に乗ること自体はそれほど苦にならない方なのですが、今回は自分の荷物と仕事用の荷物と大型のスーツケースを2個抱えての移動だったのでなかなか大変でした。特に今回は10泊のうち機中泊が2泊、同じホテルに長くても2連泊が2回、あとはすべて1泊ずつのこまめな移動を余儀なくされ、12日間で11回も飛行機に乗るという、それだけでかなり疲れる部分がありました。

南米には日系移民のコミュニティがあり、日本語を話せる人がそれなりの数いる、ということは知識としては知っていましたが、実際に行って彼らに接してみると、いろんな思いがこみあげてきます。本当に収穫の多い出張でした。このような機会をいただけたことに、心から感謝いたします。生涯忘れられない12日間になると思います。ありがとうございます。

南米という、これから2度と訪れることのないであろう地域で過ごした日々で、仕事を離れた部分でも、いろいろと刺激を受けたことも多かったです。これから折りをみて、仕事を離れた部分での訪れた町の感じや写真なども、ここで紹介していければと思っています。

マラソンシーズン

今日は福岡マラソンの開催日でしたね。
ぼくは今年はこの大会には抽選に外れて出場できなかったんですが、仮に当選していたとしても、先週からの偏頭痛がまだ完治しきってないため、どのみち出走は見送ることになったと思います。

我が家は、福岡マラソンの序盤のコースになっている道路まで徒歩圏内の所にあるので、今朝は、せっかくなので皆さんが走っている様子を見に行きました。
マラソン大会にはもう何十回と出場している自分ですが、こうやって市民マラソンを見物や応援に行くことは、実は今日が初めてでした。
すると、ランナー目線だけではわからない、大会運営のためにはこれだけの手間がかかってるんだ、って気づかされることが多くて、とても勉強になりました。朝起きてから急に思い立って出かけたんですが、本当に見に行ってよかったです。

コースは当然ながら一般の車をシャットアウトするので、コースの道路に通じる1つ1つの道の手前でバリケードを設けて、スタッフさんもそれぞれの箇所に1名ずつ配置されていました。全体では、相当の数になるはずです。
また、コースはコースで応援のギャラリーが必要以上に選手に近づかないように一定間隔で監視と沿道整理の係員の方がいらっしゃったし、帰りは姪浜駅まで出て駅南口からバスで帰宅したのですが、マリノア方面行きの昭和バスがマラソンのため10:40まで運休していることをお知らせするスタッフの方がいらっしゃったりと、本当に一般市民を含むたくさんの方々のご協力によって我々が楽しく走ることができるんだ、ってことが身をもってわかりました。

ランニングに興味のない方は、大会の参加料が1万円と聞くと、必ず「高すぎる」って言われるんですが、これだけの動員と交通関係を中心とする各方面への調整の手間がかかってるのですから、むしろ安いぐらいです。
また、我々市民ランナーも、「1万円も払ってるんだから」と当然の権利のように走っている部分があると思うのですが、これからはもっと運営側への感謝とリスペクトの気持ちを持って走らないといけません。今日は切にそう痛感した次第です。

皆さんが走ってる姿を見ると、やっぱり自分も走りたくなりますね。
自分の今年度の出走予定レースは、年内にはなく、年明けてから1月に佐賀県でハーフマラソン、2月にフルの北九州マラソン、3月下旬に今仕事でお仕えしているボスの地元の市で開催されるハーフマラソンと、現時点では3つです。
最近50歳を目前にして体力が極端に落ちた感じで、練習でも思うようなタイムで走りきることがなかなかできなくなりました。このところこのブログでもランニング関連のネタが極端に少なくなったのも、それが理由なんですけど(笑)。

早く体調を戻して、徐々にマラソン仕様の身体を作っていかないといけないのですが、まだまだ時間がかかりそうな感じです。でも、ぼちぼち頑張りますね。

Let's Go「NARASINO」!

この2~3日の頭痛と発熱がまだ治まりません。
まだ病院には行ってないんですが、しばらく様子をみてきた感覚からすると、最悪のケースとして想定していた脳神経系の疾患ではなさそうな感じがしています。
昨日から鼻や右の目尻、額のあたりが腫れ上がってきたので、自分の勝手な想像では、どうも何かのウィルスが体内に侵入して、頭部の血管が拡張してそれで痛みを伴っているんだと思います。そうであれば、抗生物質を服用するのが最も治りが早いはずなので、明日は観念して朝病院に行ってこようと思ってます。悪性のウィルスじゃなけりゃいいんですけどね。

さて、昨日職場で昼休みに朝日新聞を見ていたら、吹奏楽コンクール全国大会高校の部の結果が載っていて、金賞の学校にはおなじみの習志野高校や市立柏(通称イチカシ)の名前がありました。
ぼくは全然吹奏楽の経験者とかではないんですが、それでも習志野の吹奏楽部が日本でトップレベルにあることぐらいは知っています。
習志野高校は高校野球の強豪校でもあり、ときどき甲子園に出場するので、習志野高校の試合中継を見ていると、テレビを通してでも「あ、ここの吹奏楽部はほかの高校とはレベルが違うな」っていうのは素人でもわかります。


↑上の映像は、球場の規模やスコアのレベルからみて千葉の地方予選の1~2回戦ぐらいだと思いますが、このような予選初期の段階から“美爆音”と評される圧倒的なサウンドで存在感を出している習志野の吹奏楽部は「すごいな~」って思うし、毎試合このような応援を受けられる野球部は幸せ者だと思います。

もっとも、以前読んだ「吹奏楽部あるある」という本では、夏の大会では野球部が勝ち進むにつれて吹奏楽部もコンクール本番が近づいて、主力メンバーはその練習に専念するため野球の応援には参加せず、スタンドでの演奏のレベルは試合ごとに下がっていく、というようなことが書いてあった記憶がありますけど(笑)。

もとより、習志野高校の野球の試合には、野球にさほど興味ない人でも、このブラスの応援が聴きたくてスタンドに足を運ぶ人が少なからず存在すると聞いています。オリジナル曲の「レッツゴー習志野」もすっかり耳馴染みになりました。
ぼくもいつか、このような(↓)圧巻の演奏を甲子園の(あるいは千葉マリンでも)スタンドで生で聴いてみたいな~、って思ってます。

体調ダウン(-.-;)

金曜日から原因不明の頭痛に悩まされています。

それでも昨日は朝からウォーキング、地域の自治会の会合、散髪とスケジュールをこなしていたのですが、夜になってとうとう高熱が出て、立っていられない状態になってしまいました。

今朝も症状は変わらず、なので、楽しみにしていた今日のレベスタでの横浜FC戦は欠席。
本当は這ってでも行くつもりだったんですが、今日は珍しく地上波で生中継があるようなので、無理せず自宅でテレビ観戦することにします。

頭痛の原因がわからないだけに、脳神経系の病かもしれず、すごく不安です。本当に、今まで何か悪い行いをやったのかなぁ、って気持ちが凹んでます。

それでも、長期出張が近づいてきたので、絶対に治さないといけません。とりあえず、病院には行かずに様子を見ながら頑張ることにします。

瀬音ゆかしき杜の都

昨日から1泊2日で、ボスのお供で仙台出張へ行ってきました。

会議のあったホテルは、自分が今から12年前に今の職場へ来てから、担当する委員会で初めて県外出張に行った時に泊まったホテルで、とても思い出深い場所でした。
ちょうど季節も秋が深まろうとする今時分で、あの時ここでアタフタしていた自分を重ね合わせて、12年後にまた違った立場で再びここを訪れることになったことに、とても感慨深い気持ちになりました。

会議後の懇談会では、12年前にしこたま飲まされ、でもすごく美味しくて感激したご当地の銘酒「浦霞」をたっぷり堪能できました。
懇談会がはけた後も、ご多分に漏れずタクシーで国分町に繰り出して(笑)。宮城県の方に教えてもらったスナックで、今回の同行メンバー4人で軽く打ち上げ。

隣に座ったお店のチーママさんが、楽天イーグルスの応援のために福岡までもちょくちょく行くという大の野球好きのおネーさんだったので、それからは野球談議に大いに花が咲きました。ちょっと意地悪して仙台育英高校の平沢君の話題をふると、案の定楽天ファンの彼女は涙目に(笑)。先日のドラフトで彼を千葉ロッテに横取りされたことで、仙台の野球ファンはみんな落胆しているそうです。
でも、ぼくは野球選手を見る目にはわりと自信があるのですが、平沢選手は高卒1年目の来季から出場機会を得て、しっかりと結果も残すんじゃないかと思ってます。夏の甲子園での試合をテレビで見ただけですが、あれだけ軸のブレない、しかもヘッドスピードの利いたスイングを身に付けている高校生はそういません。近い将来、間違いなく日本を代表するトッププレーヤーになると思います。

おっと、話を本題に戻しますが(笑)、ずっと以前のエントリーでも紹介したのですが、仙台はぼくの大好きな町です。昨日の仙台はこの時季にしてはことのほか暖かい、ということでしたが、街の木々の葉っぱはかなり色づいていて、もう冬が近いんだという気配が漂っています。
新緑の季節の仙台もいいですが、晩秋の今の仙台も、タクシーの車窓から街の景色を眺めるだけでも、かなり絵になります。今回は1泊2日といっても今朝の始発便で帰ってきたので慌ただしい日程でしたが、またいつか、仕事を離れて、この季節の仙台をゆっくりと歩いて堪能したいと思います。

宮城県をはじめとする東北地方の震災からの一日も早い完全な復興を心からお祈りするとともに、自分の仙台の街に対する愛情がまた少し深まった、今回の出張でした。